20世紀という時代も、いよいよ終わりが近づいてきた。この時代を振り返ってみると、大きな時代の転換が現れているように思う。特に顕著なのは、最後の10年間が、時代を締めくくる動きをしていることだと思う。週刊シリコンバレーという、メールマガジンの100号記念でもある本号で、まとめてみたい。(週刊シリコンバレーという名前をはじめて聞く方には唐突ではありますが、「まぐまぐ」というメールマガジンでこのWeeklyを配布している時の名称です)
物質を扱いきった時代
20世紀を振り返ってみると、物質を使いこなすことができた時代であるといえる。たとえば、プラスティックや人工繊維(テトロンやナイロン)など、そして自動車や航空機が実用化され、完成の域まできたこと、電気の利用が行き渡ったことなど、是非の議論は別にすれば、この時代の実績として考えられる。これらの技術の基盤はすべて、近代化学によって理論を構築されたものであった。大きな意味では、ニュートン力学に基づく技術である。
残された問題
また量子力学の発見により、物質の究極が不連続であることが解明され、さらにアインシュタインにより、物質とエネルギーが等価であることが証明され、核エネルギーを使う時代になったことは、次の時代への1つのステップとして位置付けられる。量子力学は発見されてから70年以上経っている。この中味は、極微小粒子に対する確率的な解析方法であるが、この部分については、世界観(あるいは哲学観)はまだ確立していない。それほどまでに、現在の哲学は、技術を追いきれていないといえる。その手前の、核エネルギーについては、世界的に見て、もはや原子力発電所の新設が許されない状況になっており、次の展開が見えない状況となった。
カオス理論の登場
それに輪をかけるかのように、カオス理論が70年代に登場した。これは、ニュートン力学の根底である、原因と結果の相関性を崩すものである。しかし人間も大したもので、原因と結果が良くわからなくても、大型コンピューターを利用して、確率的に原因から結果を予想するようになった。この代表例が天気予報である。(あくまでも、現象の結果を推定しているのであって、結果から原因は突き止めていないことに変わりはない)このような時代に、コンピューターという道具が出てきたのは偶然と呼ぶには、少しできすぎていると思う。余談ではあるが、映画化されたジュラッシクパークをマイケルクライトンの本で読むと、話の中心は、DNAによる恐竜の復活というよりは、カオスの世界のはみ出しとして恐竜を扱っていることが分かる。
自己組織化という論理
自己組織化という理論が出されたのは、カオス理論が方向性を失っているときであった。カオス状態が、新しい秩序を持つということを、証明したものであり、ブリゴージンはこれにより、ノーベル賞を受賞した。これは、今世紀の大きな収穫だと思う。なぜなら、混乱の先には新しい秩序が生まれることが証明されたのだから。このような科学の発見は新しい哲学を生み出すことになる。すべての先駆的な科学的発展はこれを裏付けている。(因果の法則も、ニュートンの発見から由来している。これが、人間を月に送り込ませることに成功した手法である)
そして、ヒトゲノム
そして、今年の6月に民間のベンチャーであるセレーラのベンターと、国際研究機関のコリンズがクリントン大統領を挟んでヒトゲノムの全体解析ができたと報告した。当初の解析予定を5年早めた結果となった。これだけの成果を出すのにコンピューターの果たした役割は大きいし、それを支えてきたネットワークの成果もすばらしいことである。こうやって見てくると、20世紀という時代は物質の利用、解析を果たした時代だといえる。そして残っている問題は、それらをどのように統合するかということになる。その意味から、インターネットの存在と自己組織化との関連、そして統合化の哲学という新しい目標が21世紀の中心課題になってきていることが分かる。この解明に東洋の思想が役立つことを感じる方は私だけではないだろう。
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