Y2Kは、大過無く過ぎたというのが実感です。その準備の過程や結果を見ると、生きて行く上での重要なポイントが見られたと思います。大きく見ると2つあると思います。まず、どんなことが起こるかという仮説をつくることと、おきた場合の対処の方法、そして2番目にはその対応を、ネットワークで共有化したことだと思います。世界中において、それぞれの部署であるいは、個人が同時にできたということが、大きな意味を持つことだと思いました。そのプロセスと意味を考えてみたいと思います。
最悪の事態の仮説を立てる
今回、想定された事態は常に最悪の事態でした。それに対して、人間ができることを具体的に決めて行くという手法がとられました。これは、危機管理として、とても重要なことです。その中で、できないことがあればできない理由を「人のせいにするのではなく」、「自分の問題として」対応を考えるということが実際にできました。このことは、今までの自己と他を区別していた考え方と異なります。外の原因は、自己の責任ではないということが、従来の常識でした。でも、その原因は使う人自身が検証するということを認めたわけです。そこまで考えて行動できたことは、人類史上で数少ない出来事です。それは、プロセッサーの欠陥を、製造者に求めるのではなく、実際に使う自分が、リスクを取りつつ対応するということが行われたわけです。
個人のレベルでは
これは、実にさまざまでした。いろいろな恐ろしいことが怒るという情報をほかの人にわざわざ知らせてくれる親切な?人。やれることに限界があるので、投げやりになった人。何も考えていなかった人。それぞれが、自分の納得することをやっていました。私はといえば、水と食料を10日分準備しておりました。その他にやったことといえば、車のガソリンを満タンにして、銀行の預金残高を確認するということぐらいでした。生存に関する最低限が、この程度のものかというのは、やってみて実感しました。危機が起こったとしても、できることはそう多くないのです。
企業の対応
今回のY2Kで、企業の対応はなかなかすばらしかったと思います。未知なものに対して、できる限りを尽くしたという努力は、評価されると思います。むしろ、社会の中で自分たちの位置付けがより明確になったのではないでしょうか。そして企業の社会性を確認できた出来事だったと思います。
Y2Kの必然性と21世紀へのつながり
Y2KはMillenniumの転換のときに起こりました。そして、転換した2000年はまだ20世紀末なのです。21世紀という、新しい時代への幕開けのために準備された、大きなイベントだったのではないでしょうか。私は年末から年始にかけての社会の動きを見ていて、世界が着実に手をつなぎ始めたことを感じました。
私のY2K問題
私個人には、これとは別のY2K問題が発生しました。それは、自分のことを知らなかったという、実に初歩的なミスです。しかもこれは、重大なトラブルになり兼ねない問題でした。それは、私が、ひどい凝りを持っているということでした。もともと私は、連続して10時間くらいパソコンに向かい合っても、肩も凝らずやれていると思っていました。内心、自分はこれからの時代向きだと喜んでいました。ところが、今年の正月に、生まれて初めて、指圧をお願いしました。そこで判ったことは、私ほど凝りを持った人間は、非常に少ないということでした。確かに、凝った筋が肩や背中に埋もれているのでした。私は、これには驚きました。自分のことが判っていない!のです。
今年は、自分をしっかり見つめながら進むことにしました。
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