明治は急速に西洋を模倣し始めます。そして、経験者がいないことと、手本が無い事ゆえに、新しい制度や、思想が次々と取り入れられます。それも、今から思えばとんでもない若い人達がリーダーになって進んで行くわけです。この時代の動きを良く示した本は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではないかと思います。今回は、個別の論考にあまりこだわらず、明治と昭和とをつないだ考察をしてみたいと思います。この事は、現在の日本の置かれている問題を考える上での一つのヒントになるのではないかと思います。歴史は繰り返されると言う意味ではなく、明治から昭和に来るところでいくつかの忘れ物をしてきたからだと、私は思います。
外の世界を素直に学び、咀嚼して取りいれた明治初期
一つ大きな事は、明治初期には外の社会と日本の社会を比べて、自分達の位置が違っていると言う事を正確に認識していた事ではないかと思います。これは、次のステップに進む上で重要な事で、方向や到達地点を明確にする事により、効率的に進む事が出来ます。そして、明治政府は、2つの大きな戦争をして、勝利を収めると言うところに力を合わせる事が出来ました。あの、日露戦争中に、諸外国からの協力を求める外交活動をやっていたのは有名な話です。また幕末の不平等条約を粘り強く修正しようとした努力もありました。いずれにしろ、一つ一つの現場では、目標に向かって着実に成果を上げていました。また、文学の世界では、森鴎外や夏目漱石など、西洋文学を苦心して学び、日本的なものへと投影し返してきた偉大な人々も、続続と輩出されました。
大正時代
この時代には、あまり派手な動きはありませんが、第一次世界大戦を直接に現場で見る機会が無かったため、戦争に対する認識が甘くなった時代だと思えます。すなわち、航空機による制空権の発生、毒ガスなどを含めて、兵器そのものが変化して行く事実。それが、第一次世界大戦で百出してきました。その事についての知識はあったのですが、情報の質としては、今までの現場から得られた情報にならず、伝え聞いた知識になってしまいました。しかも、悪い事には一生懸命作り上げてきた組織は、そこそこ組織のための組織になって来ているのです。しかし、諸外国に対しては、不平等ながらも、対等の権利を認められていましたし、胸を張って平等を要求する事も出来るようになりました。文学は、明治の進取なものから、大正ロマンへと移り変わります。
そして、戦争までの昭和
昭和の特色は、太平洋戦争の前では、現場と指揮系統の矛盾を放置した事。それにより、太平洋戦争中には本部には情報が上がらず、現場には実情に合わせた補給が来ないという状況にさらされる事になりました。これは、「失敗の本質」(中央公論社)に、各作戦ごとに解析がなされています。今読むと本当にびっくりするくらい、組織行動がいい加減であった事がわかります。また、戦争に対する一番大きな戦術は、敵をせん滅させるのに大型軍艦同志の洋上決戦と言う事に決めて、大和や武蔵を利用しようとしました。結果は制空権を持った、米軍の勝ちでした。これは、日露戦争での、バルチック艦隊との戦いに勝った記憶が、海軍の中に残っていたための悲劇だと思います。堺屋太一氏も、そのような事を言っています。また蛇足ですが、ゼロ戦は旋回性能が、当時のグラマンより良くて、良い飛行機であると言われていますが、これはなるべく軽い材料(木材など)を使い、しかも戦闘時には片道の燃料しか入れていなかったと言う事で、達成された事だそうです。人間魚雷とかを見ても、発想が「人を使い捨てる」と言うところに来てしまっています。それだけ、日本が追いつめられたと言う事だと思います。また、新聞はというと、大本営の発表をそのまま載せ、「竹槍で最後の一人まで戦うぞ」と檄を飛ばすのでありました。事実をつかむ事の難しさを感じさせる時代でありました。そして、太平洋戦争には破れましたが、それを、「終戦」と呼ぶ事になりました。
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