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【復刻】 050 考えたことを書いていたらもう通巻第50号 19980831

このWeeklyも通巻第50号になりました。以前書いていたWeeklyも50号でしたから、かれこれ100週間にわたって書き続けたことになります。なぜ書き続けているか、ということを自分でも振り返ってみました。原点は、ある種のカルチャーショックであったと言えると思います。そして、インターネットをいろいろ覗いてみて、ホームページを更新することがその存在を継続させる、大きな要素であることがわかりました。そこで、これからのインターネットの世界に、自分としてどこまでできるか、試行錯誤してみたのがこのWeeklyです。書く事自身は、それほど苦になりませんが、今後どのように方向づけて行くのか、考え続けています。その思考の中味として今回は、私がWeeklyを継続する原点について、すこしまとめてみたいと思います。

人を勇気づけるということ
私は、米国の社会に暮らしてみて、ずいぶんと沢山のことを目にしました。(ここではあえて学んだとは言いません)その中味はといえば、人を誉めたり、勇気づけるのがとてもうまい人たちが社会を作っているという実感です。それに関するいくつかの経験を報告したいと思います。
まずは、New Yorkのマンハッタンを歩いているときのことでした。車椅子に乗った、ご婦人が38丁目の交差点を渡ろうとしていました。しかし、歩道の段差が大きくて、車椅子はその段差を越えることができません。そして、その車椅子の婦人を囲むように3人の男の人たちがいました。その中でも背の高い黒人が「誰か手伝ってくれ。もう一人足らないんだ。」と呼びかけていました。たまたま私はちょうどその場所に差し掛かっていましたので、空いた右手で、車椅子の右前を持ち、歩道から車道へとおろしました。そして、車道を渡った後、再び歩道へと、車椅子を持ち上げました。4人の男が、協力して車椅子の婦人の歩道を渡るお手伝いをしたわけです。婦人は喜んで、みんなにお礼を言いました。そして、先ほど助けを求めた黒人も、残りの人にお礼を言いました。私は、You’re welcome.(どういたしまして)と答えました。その時に、背の高い黒人が私に言った言葉は、「おまえが一番貢献した。何故なら、おまえが居なかったら、このプロジェクトは出来なかったのだから。」
と、言ってきました。出来ることをするということが、これほどまでの位置づけで考えられていることを見てしまって、私は、誉めること、勇気づけることの重要性を感じることが出来ました。

それ以外に思ったことは、TVでの放映ですが、アカデミー賞の授賞式のときに、困難と戦う人を紹介して、友人たちが暖かく励ますという場面でした。サミーディビス Jr.が一昨年で、今年はクリストファーリーブではなかったかと思うのですが、サミーは余命幾ばくもない、末期ガンの状態、クリストファーは、脊髄麻痺による全身麻痺の状態で、車椅子で講演するわけです。友人たちは彼らを励まし、彼らはそれに応えるわけです。以前、Weeklyの第14号でも、私たちの会社のクリスマスパーティーに招待された、末期ガンの従業員の話を書きましたが、このような例は、たくさん見ることが出来ます。むしろ、クリストファーリーブは、普通の人々を励ますような話をしていたりして、私はそんな話を聞くと、胸が熱くなります。人々の違いを認める、そしてその認めたところから一人一人の生き方を考えるということが、素晴らしい世界を作れる可能性があるということを、実感するのです。

完全な人はいない
この違いを認め、一人一人の良さを確認することは、個人が素直に生きられる社会の不可欠の要素だと思います。どういう事かといいますと、一人一人は、完全でなくても、お互い良さを認め合うところが存在の原点になるからです。その点で比較してみると、今でも、日本の上に立つ人たちは、自己の完全性という幻想を求めて、自己の完全性を否定されることに大きく抵抗しています。そんなことになったら、メンツがつぶれる、とか自分たち以外には、日本人を「指導する」事ができない、とかもう行き先のないところにまで来てしまいました。私はこの考えでは、問題は何一つ解決しないし、今こそ、一人一人が力を合わせるべき時だと思うのです。これからは、一人一人を思い切り生かすことしか、日本人の元気も出てこないし、問題に対するいい知恵も得られないと思います。ここで分けて考えるべきことは、生きることは今が重要で、もしかすると今を生きることは、未来の問題を解決してしまう可能性すら出てくることではないかと、思われるのです。先ほどのクリストファーリーブなど、普通でしたら、完全介護の患者として扱われるかもしれないのに、健常者すら励ましてしまうわけです。そうすると、彼の介護の問題というのは、本質的なものではなかったということになるわけです。しかし、そのような状況になるには、お互いを認めて、その良さを伸ばすような風土が必要になると思います。それは、待っていて出来るものではありません。気がついた一人一人が行動するということでしか、拓いてゆけない道であると思います。

ネットワークとMissionがキーワード
一人一人の活性化のためには、ネットワークがますます重要になると思います。そして、ネットワークを構成する一人一人が何を考えて生きるかと言うことが社会の状況を規定して行くと思います。どうやって生きるかと言う問いかけには、答えは具体的に出ますが、何のために生きるかと言う、根源的な問いに対して答えるのは、なかなか難しい面があります。でも、それを一人一人が考えて、お互いの生き方を認めることこそ、ネットワークの大いなる利点であり、今の日本に必要なことだと思います。何のために生きるかという問いかけに対して、個人個人が答えを出しながら、その積み重ねで、社会のMissionを作り上げることが重要ではないかと思うわけです。

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