今年は、家族揃って夏休みを日本で過ごす事になりました。私は、仕事で日本に来る事も多かったのですが、子供たちは3年ぶりの日本です。私の講演のツアーに合わせて付き合ってもらって、東京を拠点にして広島、岡山そして京都を中心に日本を回りました。そこで考えた事をまとめてみたいと思います。
バリアーフリーが不十分な国
いつもの事なのですが、日本での旅は重たい荷物を運びながら動くには大変骨が折れます。成田や東京駅などの主要な駅は上下のエスカレーターもあり荷物を引きずりながらも、乗り換えが出来ますし、バリアーは小さいのです。しかし、他の駅においては、バリアフリーとは大きくかけはなれていると思いました。ですから品川駅付近で宿泊したときには、エスカレーターが無いために、重い荷物を引きずりながら階段をフーフー言いながら上がったり降りたりしました。これは、夏の暑さと旅の疲れに輪をかけてとてもくたびれる事でした。
米国のバリアーフリーの実態
米国のバリアフリーは、もちろん体の不自由な人やお年寄りなどが対象でもあるのですが、それを推し進めるパワーが強かったのは、退役軍人の力ではないかと思います。米国のために戦って、負傷して体が不自由になった人たちを、社会としてバリアーフリーで整備して対応していると言う感じがします。そして、結果として体の不自由な人も動きやすい社会のシステムになっていると思います。そして、普通の人と同じ事が出来るようにする事が、身障者への対応なのです。
バリアフリーの日本での経済効果
日本の高齢者の介護と言う議論を聞いていて、不思議でしょうがないのですが、老人は寝たきりになってそれを介護する事が老人福祉と言う考え方が、主流のように思えます。これは、本当に介護なのでしょうか。起きられる人、動ける人を助けて普通の人と同じような事が出来るようにしてあげるのが、介護ではないでしょうか。それがうまく働けば、体が不自由でも、普通の人と同じ世界に入れるわけです。しかも、介護する人の負担は寝たきりの人を介護する場合と比べて、とても小さく、幅広い人が参加できるのではないかと思います。(私だって、寝たきりの人の介護は出来ませんが、車椅子なら、手伝う事ができます)そうすれば、高齢化社会の老人福祉など、そんなにコストがかからないのではないかと思いますし、人と人との触れ合いももっと増えるのではないでしょうか。
そんな事を考えていると、バリアーフリーは特別な人のためではなく、自分たちの社会環境を暮しやすくするための、大きな道具だという気がしてきました。バリアーフリーが簡単には出来ない理由はいろいろあるでしょう。でも、自分の問題として考えると、もっと進む方向が明確に見えてくるような気がしました。そして、自分の問題としてやれる事を始めると、状況も変わるのではないかと思えるようになりました。
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