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【復刻】 022 シリコンバレーの中の日本 19980202

シリコンバレーに来て、はや6ヶ月がたちました。ようやく、近所のこともわかり始めましたので、日本人がどのように関わっているか見えてきました。経験をもとに、まとめてみたいと思います。

 

銀行業務と日本語
こちらに来て、銀行口座を開設しました。大手銀行でも、地域での支店網にむらがありますので、地元の銀行に口座をもたないといろいろな手続きに不自由します。一番の不自由は、現金引き出しが取引銀行でないと、手数料を取られることです。引き出し機(ATM)はどこの銀行でも24時間稼動していますので、普通の人は通常100ドル前後を、現金で財布に入れているようです。こちらに来てすぐに口座を開設しましたが、受付の人と英語で話しているうちに、ここでは日本語の出来る係員がいますので、日本語でどうぞと言われて、とても楽に口座が開設できました。この銀行(Bank of California)は日本の銀行と資本系列があるためか、建物の窓には障子がカーテンの代りに使われていました。しかし、私の知り合いの人は、City Bankを使っていますが、彼はATMカードを入れると、日本語表示と、円換算の預金額が出てくるといって、驚いていました。E-Commerceとか言っていますが、すでに国際金融体制は「実質的に」国境を越えていると言えるのではないかと思います。

ホテルの朝食、空港の案内
こちらのホテルは、宿泊料に朝食が含まれていることが多いです。これが割とバラエティーに富んでいてしかも、量的にも十分です。そして、そのメニューの中に、和食が少なからずあります。のり、味噌汁、ご飯、梅干し、沢庵くらいがつくところも多いです。味噌汁はインスタントですがそれでも、日本からのビジネスマンには好評です。また、空港の案内も日本語で行われています。その意味では、日本語の使える範囲はけっこうあります。

普通のお店での日本語の経験
私の家の近くのスーパーマーケットでの経験です。夜、買い物に出かけたところ、駐車場から店への入り口で、店員に「こんばんは」と声をかけられました。はじめは英語でいわれたのか良く分かりませんでしたが、日本語で話し掛けられたのでした。同じような経験でしたが、Noble and Burnsという本屋さんで1月1日に本を買いました。支払いが終わると米人の店員が「新年おめでとう」と声をかけてきました。これも驚きの一つではありました。かく申す私は、中華料理、ベトナム料理など食べてはおりますが、その国の挨拶言葉すら満足出来ない状態ですので、現在は日本語を聞かされると、感心するばかりです。

食事は、レストランは?
シリコンバレーは、サンフランシスコの鮮度のいい魚が上がりますので、おいしいお寿司屋さんが数多くあります。しかし、経営は決して楽ではないそうで、日本人以外にどれだけお客が来てくれるかが経営のポイントになるそうです。日本人の駐在員や出張者には単価が高く「カラオケ」のついたところが喜ばれるそうですが、最近のご時勢では、このようなお寿司やさんはお客が少ないそうです。そうかといって、米人好みのお寿司では日本人が来なくなることもあるそうです。割り切って、お客の層を変えて成功しているお寿司やさんもあると言います。このあたりは、国際社会の競争にさらされている、日本の状況と良く似ているかもしれません。国内仕様だけではだめで、市場を世界に求めつつ、商品を変化させないと経営が成り立たないというわけです。

で、日本語はメジャーか?
日本語は、私にはこれだけ身近のように思えるのですが、客観的に見るとどのような位置づけでしょうか。San Jose Mercury Newsという、ハイテク関連に強いと言われる新聞について見てみたいと思います。今年の1月1日の新年の挨拶は、まず英語、次にスペイン語、その次に中国語そしてベトナム語でした。日本語の挨拶言葉は見つけることが出来ませんでした。今のところの感じを正直に申し上げると、購入者としての日本人は「大きな」存在ですが「生活者」としての日本人はあまり当てにされていないと言う感じがします。理由はいくつか考えられますが、3-5年で日本に帰る駐在員という存在が、結構影響している感じがあります。

 

号外ニュース、
デンバー在住の中村さんが、スーパーボウルに優勝したBroncosの優勝直後の地元の様子をメールで送ってくれました。転載も快諾していただきましたのでここに、転載します。中村さんありがとうございます。以下、1/25にいただいたメールの転載です。

やったー!ブロンコス優勝!

おかげで街は現在非公式に厳戒令が出ております。まず何千人もの人が優勝後すぐ、ラリマースクエアとういうデンバーのダウンタウンの中心地に集まってランチキ騒ぎをしていたのですが、そのうち、通りに止めてあった車をひっくり返し出しました。400人以上もの警官隊がライオット防具を身につけて、待機していたのですが、それをきっかけに、催涙弾を打ち込み、ダウンタウンは修羅場となりました。ギャング集団が入り込み、3件ほど撃ち合いがあり、死亡者も出ています。幹線道路のそこら中に、旗を振り回して、騒いでいる人がいて、皆、車のクラクションを鳴らして、それに答えています。モールのお店ではスーパーボールチャンピオンのシャツを売るといってTVで宣伝していましたので、言ってみたらもう既に売り切れになっていました。とにかくこのお祭り騒ぎはしばらく収まりがつきそうにありません。

以上、デンバーより、緊急生中継でした。

 

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