以前住んでいた、Charlotteという街は今にして思えば、典型的な南部の街でした。南北戦争では、南軍に属していましたし、プランテーションと呼ばれる奴隷制度のなごりをとどめた広大な農園の跡も残っています。それに対して、シリコンバレーは西部に属する、米国では比較的新しい街になります。ご承知のように、1840年代のゴールドラッシュが、西部への人々の移動をうながしたわけで、それは今からほんの150年ほど前のことです。そして、奇しくもシリコンバレーは、ゴールドラッシュのあった場所とあまり変わらないところにあります。今のところは、引っ越してきてまだ一ヶ月にしかならないので、比較できる範囲は限られますが、私の目から見た南部とシリコンバレーの違いを今回は地理的な要素を中心に比較してみることにします。
シリコンバレーってどこだ
まずはシリコンバレーと呼ばれるところですが、正確にはサンフランシスコの南からサンノゼまでを指します。西側を太平洋に東側をサンフランシスコ湾に挟まれた南北80キロくらいの細長い地域です。この地域では、1930年代からベンチャービジネスが発展してきました。Hewlett Packard社は1938年に設立され、ベンチャーの草分けともいわれています。そのベンチャーの風土の上に、新しいビジネスが展開されるようになりました。とりわけベル研でシリコンからのトランジスターを開発したW.ショックレーが、1955年にショックレー研究所を開き、ここから多くのトランジスターを利用した技術が展開されました。その場所は、現在のスタンフォード大学の周辺から始まりました。そして、シリコン半導体の技術が数多く出てきたことで、その一帯がシリコンバレーと呼ばれることになり、先ほどのような範囲にまでいろいろな種類の企業が数多く点在しています。
緯度、気候について
南部の都市Charlotteは米国の東海岸よりにありまして、緯度は日本の名古屋と同じでした。全体的に気候は日本とよく似ていました。夏は高温多湿でした。気温も湿度も日本と同じようでした。米国人は「湿気が多くてかなわん」とか言っていましたが、われわれからすると、日本とあまり変わらないので、気になりませんでした。東海岸と言っても、大西洋からは400Kmほど内陸にありますので内陸性の気候も持っています。寒暖の差が激しいのです。夏は暑いのですが逆に冬になると、朝晩はマイナス5度位までは冷え込みます。これは日本より寒いと感じました。その分、四季の移り変わりもめりはりがあったように思います。春の新緑、秋の紅葉はとても鮮やかで印象深く残っています。
シリコンバレーは米国の西海岸にありまして、太平洋に面しています。緯度は日本では福島市くらいに相当します。太平洋側には寒流のカリフォルニア海流が流れていますし、しかも海岸から50Kmほどしか離れていませんので、寒流の影響を強く受けています。
恥ずかしい話なのですが、今年の7月4日の独立記念日には、シリコンバレーで家探しをしていました。たまたま思い付いてサンフランシスコに家族で夕食をとりに出かけました。われわれはTシャツに半ズボンという姿でしたが、ほとんどの人はトレーナーか長袖シャツで長ズボンでした。人によっては皮ジャンをきている人もいました。昼間は当然日に当たると暑いのですが、夜になるととても寒くなり、我慢できないくらいでした。仕方なくお土産屋で長袖のジャケットを買う羽目になってしまいました。ちょっとした知識の無さで結局はずいぶんと高いディナーについてしまいました。日ごろから情報の価値を標榜している私としては、事前調査の不足がいかに高くつくかを痛感した次第です。ですから、カリフォルニア海流がものすごく冷たい海流だということは肌で実感しています。その影響が大きいものですから気温は年間の変化が少なくなるわけで、結果的に夏は涼しく、冬は相対的に暖かになるようです。そう言えば、南部の家は冷暖房がないと住めませんが、サンフランシスコからシリコンバレー一帯の家はクーラーのない家も多いと聞いています。地理的な差がそんな違いになって現れています。
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