- 2008-01-11 (金)
シリコンバレーではアジア人の活躍は目覚しい
もとはと言えば、アジアから近いということで、歴史的には18世紀くらいから交流が始まっている。 具体的には、米国からの「捕鯨船」が日本沿岸に出没したりして、一般市民レベルでの交流は行なわれていたらしい。 日本や中国からは、移民として米国に進出する人たちも多かった。 移民としての仕事は、カリフォルニアの金鉱の採掘をはじめとして、大陸横断鉄道建設工事や農業技術の普及に多大な貢献をしてきた。 日本人の場合は、太平洋戦争中に、米国内で強制収容所に隔離された経緯があって、日本人同士のつながりは希薄になった事実がある。
戦後から特に、米国の移民政策(高等教育を受ける人の受け入れ、技術を持つ人たちのVisa発行など)によって、アジアの国々は技術を持つ、しかも高学歴の人たちをシリコンバレーに送り込んできた。 日本に関していえば、1980年代以降製造技術、工学系技術では、日本の技術者をを中心に、米国内の技術を引き上げる役割をしてきた。 80年代に起こった、自動車貿易摩擦はもはや起こらないし、米国は軸足を製造業から、知識活用産業へとシフトしている。
また、米国のプロ野球は1990年代には人気が低迷した。 その時代に、野茂英雄やイチローは日本人としてだけでなく、大リーガーとして米国のプロ野球会を盛り立てた実績がある。 この後、松井や新庄、松坂などの選手が、続々と大リーグを目ざして動き始める、大きなきっかけとなった。 スポーツは個人の能力に大きく依存しているが、日本からの選手達が、米国でのびのび活躍している姿は、見ていてもすがすがしい。
ここで、アジア人が持つ特色を挙げてみよう。
一般的に、勤勉で良く働く
几帳面で、清潔好き
争うよりも協調を好む
文化に対して、柔軟に対応する
平和的に物事を考える割合が高い
自然との共存という考え方が、身についている
米国に比べると、歴史の長い国が多い
銃はあまり使わない
このような特色のもとで、シリコンバレーでのアジア人は、割合も高いし活動範囲も広い。 2004年のSanta Clara郡のデータでは白人40%に対して、アジア系は33% ヒスパニックが23%となっている。
シリコンバレーの人種の割合
アジア系の中での人種の割合を見ると、2000年の人口調査でのデータでは、中国系、ベトナム系、フィリピン系、インド系、そして日系となっている。 (2000年以降、日本の大手企業がシリコンバレーの拠点を閉鎖したり、縮小することにより、日系の割合は現在では、韓国の割合より小さいと、私は推定している)
シリコンバレーのアジア系人種別割合(2000年 人口調査データより)
シリコンバレーの歴史のところで触れたように、半導体を起点とした技術で、シリコンバレーの産業が支えられてきたが。 1980年代後半から、製造技術では、日本が圧倒的に優勢となる。 折から、冷戦の緩和により、国防関連の研究開発費が削られ、1990年代の初めにはシリコンバレーの経済は、不振に陥った。 シリコンバレー地域活性化プロジェクト(Joint Venture Silicon Valley) は、シリコンバレーの「持続的な経済発展」と「Quality of Lifeの向上」を掲げて時限組織として Smart Valley Inc.(スマートバレー公社)を立ち上げた。 1993年のことである。
折からのInternetの立ち上がりという背景が追い風となり、Injternetを利用した技術が次々とビジネスを生み出した。 合わせて行政の手順の効率化や、インターネットを利用した行政情報の公開などの実績を残して、スマートバレー公社は1998年に解散した。
1990年前後、シリコンバレーの経済停滞期を示す雇用増減のグラフ
1995年から2005年の第3四半期までの米国のベンチャー投資を見ると、1999-2001までが、(今思うと)異常な投資金額になっている。 バブルが破裂した後、シリコンバレーの活動は低迷したかのように見えていた。
全米でのベンチャーキャピタル投資推移 (1995-2005)
その後も、インターネットのブームは続き、結局はドットコムブームへとつながり、2000年のバブル崩壊まで続いた。 この時代に起こったことは、Internetを利用した技術と設備の蓄積、そしてアジア諸国とのビジネスレベルでの、っ協力関係の構築である。 80年代からからの半導体技術での、インド人の貢献はインターネットの時代になって、インド本国でのアウトソーシングビジネスにつながっている。また、バブルとして投資されたOptics関係の設備投資は、光ファイバー網として、米国本土内のみならず、インド、中国、欧州などともつながれ、以後のInternetビジネスや、既存のビジネスのインフラとして活用されている。
2000年のバブル崩壊以後でも、シリコンバレーではベンチャーキャピタル投資は堅実に行なわれ、新しい技術を使ったビジネスの萌芽が生まれていた。 2004年にGoogleが上場した頃からWeb2.0と称されるInternet上での、個人参加ツールが開発され、インターネットの使い方が、参加型にへと大きくシフトしてゆく。 そして参加した個をまとめ上げるSNSサービス(MySpace、Facebook、LinlkedInなどが生まれる) そうやって、今までのMassを扱う手法では手が届かなかった、ロングテールの部分(末端の個人)への参加を加速するビジネスが増えてきている。 アジアの多くの国々は、Web2.0のインフラ上からInternetに接することになる。
アジア諸国のネットワーク
アジアの国々は、シリコンバレーでもネットワーク活動をしている。
こうした中、シリコンバレーでは、外国からの起業家達が新しい事業を起こす例が増えている。 こうした創業者の割合は、新規起業全体の半分以上を占めているといわれている(San Jose Mercury News) その背後には、それぞれの国のネットワークが築かれている。
インドでは TiE(The Indus Entrepreneurs) が技術者を中心とした会員組織で12000人の会員を擁する。 毎年5月に開かれるTiE Conferenceは、IT産業を中心とした会議で、米国、インド、日本などからもゲストスピーカーが、最新のテクノロジーの意見交換をする。
中国ではCINA(Chinese Information and Networking Association )が活発に活動をしている。 こちらも定期的にCINACONというConferenceを開き、シリコンバレーでのネットワークの拡大や、情報交換、起業家支援を行っている。
韓国では、国策としてITの新興を図っている。 シリコンバレーではKIICAというITに特化した、ベンチャーのインキュベーションを行なっている。
日本では、公的機関としてはJETROがSan JoseにBusiness Incubation Centerを持ち、IT系とBio系のStart UP起業の米国進出の支援を行っている。
シリコンバレーの企業の創業者をまとめてみると、世界各国からの創業者が、少なからずいる。 この傾向は、アジアやBRICs諸国の経済、技術の成長に伴い今後ますます増えてゆくと予想される。
シリコンバレーの市には、アジア系の市長も多い
アジア系の市長たち(2008年1月現在)
野茂が投げ、Ichiroが打つ (Aug. 14 2001 Boston Fenway Park)
シリコンバレーの日本人ネットワーク団体とそのURL
それぞれ、リンクをたどると、イベント案内につながり、活発な活動が伺える。 先に紹介した、インドや中国の人たちの団体のように、ビジネス(紹介・支援)という観点での活動は規模や拡がりが限られている。
SVMF (1994年スタート)
JBC (2002年スタート)
JTPA (2002年スタート)
SVJEN (2002年スタート)
JUNBA (2004年スタート)
シリコンバレーでの日本人のネットワーク活動が盛んになってきたのは、2002年以降である。(SVMFは、異業種交流会として1994年から活動してきた、息の長い団体であるが) これはタイミング的には、日本から進出してきた大企業が、米国拠点を縮小・撤退し人を引き揚げていった時代と符合する。 現地に残った日本人達が、組織を超えたネットワークを組まないと、生き残りができないという危機感から発していると、何人かのネットワークメンバーから聞いている。
こうして見ると、アジア系のNetworkの中で、日本はインフラとしては揃えてきている。 人的なネットワークについてはここにまとめたような団体が活動を続けており、最近では相互が連携してイベントを開催したり、活動の内容を分担している傾向が出てきた。 継続的に発展するためには、このような活動を「地元としてする人」を中心として「企業や政府機関」が応援する仕組みをとることが不可欠であろう。
では、ベンチャーを立ち上げる人たちの様子はどうであろうか。 手元に2004年にNews Weekのインタビュー記事がある。 その中で、当時UCSFで、抗体設計の研究でポスドクをやっていた、大田さんの記事がある。 大田さんは、高校を終了後一旦日本の大学には入学したが、自分の価値観との違いに気付き、米国へ留学する。 最終的にはYale大学でPh.D.を取り、3年前、抗体の設計、製造のベンチャーを立ち上げる。 途中、社長をしていた共同設立者をガンで失うものの、現在はシリコンバレーに拠点を持つバイオベンチャーを立ち上げている。 光延さんは、勤めていたPeninsula社が、J&Jに買収され、現在ではそこの仕事を引き継いで、Upwellという会社を設立しコンサルティングをやっている。 3年という時間は、短くはあるがシリコンバレーでの変化はこのように早い。
シリコンバレーで活躍する日本人ベンチャー 大田信行氏
光延佳子氏
シリコンバレーの起業家たちで、大先輩は曽我弘(ひろむ)氏である。 氏は新日鉄を定年退職した後、シリコンバレーでImprovistaという会社を立ち上げDVDオーサリングツールを開発し、Apple社のSteve Jobsとやり合って会社を売却した経験の持ち主である。 SVJENの設立にも深く関わり、起業家の成長を助ける活動を継続してきている。 70歳を超える今でもチャレンジ精神が旺盛で、バイオの会社の経営を任されてている。 会社をまた、大手企業からスピンアウトして、2006年にNASDAQ上場を果たした、小里文宏氏や、IPinfusionの吉川欣也氏、石黒邦宏氏が2005年に会社をM&Aしたことなど、われわれにも見えることが着実に増えている。 今後は、現在ベンチャーで格闘している人たちの成果が出てくるよう、日本人ネットワークが応援する形ができると理想的である。 実際には、これら成功した企業での日本人従業員の数は非常にわずかである。 それだけ、日本人層が薄いということもあるが、今後のためを考えれば、日本人が働ける国際的な裾野の広がりが持てる相互支援の仕組みを作り上げることは、重要である。
また、ベンチャーキャピタルでも、前述した独立系の人たち、バイオ分野ではスカイラインベンチャーズの金子恭規氏が挙げられる。彼は慶応大学医学部を出た後、Stanford大学のMBAを取得して、GenentechのStart Upから参加してきた経歴の持ち主である。 すなわち彼も、Ex-Genentechである。やはり、人財のネットワークが一番のポイントということで、金子氏のネットワークの周りには、学問分野から産業分野まで多彩な方々との交流があることがわかる。 その他、IT分野では、ATAベンチャーズの藤村道男氏、グローバルカタリストパートナーズの大澤弘治氏、DEFTAパートナーズの原丈人氏が挙げられる。
これからの日本も、チャレンジする人たちが、それぞれの道に進み、周りがそれを応援するという形になるのが、理想的である。 シリコンバレーはその試み、それを広げる幅を持つ貴重な場所になる。 ますます日本人ネットワーク活動を活発にしてゆきたい。
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