- 2008-01-11 (金)
米国で新技術を産業まで成長させた、ベンチャーキャピタルとベンチャー、そして産学連携の話
ベンチャーキャピタルととシリコンバレーの発展
アメリカを創ったベンチャー・キャピタリスト―夢を支えた35人の軌跡 (Harvard Business School Press)に、米国のベンチャーキャピタルの歴史が良くまとめられている。
第二次大戦後、1946年にJ・H・ホイットニー&カンパニーが東海岸で設立されたのが最初といわれている。
創業者のホイットニーの掲げた社是は以下のようなものである。
「われわれはその成功を確信する企業、経営陣と目標に心から共感できる企業、楽しんで創設に携われる企業、だからこそ成功したとき誇りに思える企業に投資するものである」
また、彼の信条は「アメリカのような冒険心旺盛な自由経済において、有意義な事業を始めようという未来の起業家に資金源が存在しないのは、そのダイナミズムをそぐ」というものであった。
本人の資産からの出資と合わせて、ロックフェラーや、ホイットニー、フィリップスなどの財閥資産家たちがベンチャーキャピタリストたちに出資した。
資産家たちにとっては株による安定配当よりもリスクはあるが、より高い収益が見込める新しい投資分野となった。
そして、1950年代になり西海岸で、半導体製造技術が出てきて、それを産業化するリスクを背負って、次々と新産業が起こった。 これが、現在のベンチャーキャピタルの出発点となった。
本書によれば、東海岸の既存の官僚的な仕組みの中では、本当に必要なことができないではないかという、一握りの人たちの危機感から出発している。 その後、ベンチャーといえばシリコンバレーというようになった。 20世紀後半で、沢山の新技術をもとに新産業が興ったが、実際に産業として確立したもののほとんどがシリコンバレー発である。 (すでに紹介したもの以外にも、Hard Disk DriveやPDA、Flash Memoryなどがある) この点だけを見ても、シリコンバレーから学ぶべき点は、多々ある。
ベンチャーを支えるインフラ部分
シリコンバレーで特色的なのは、ベンチャーを支えるインフラ部分がしっかりしている(組織形態的にと関わる人財の質において)
この部分は、世界中が真似をしてきたがどこも成功していない部分である。 ベンチャーを成功させた経験者のみが持つ、ネットワークやKnow-Howが中心にある。
ベンチャーを支えるインフラの構造
技術の創発を支える、ベンチャー資金、エンジェル資金の存在
ベンチャーキャピタル投資を1995-2005
1995年から2007 第3四半期までの全米ベンチャーキャピタル投資
米国のベンチャーキャピタル投資の2007年の第3四半期の投資額を地域別に比較したものである。
2007年第3四半期米国ベンチャー投資額地域比較
これを見てわかることは、シリコンバレーに対する投資額が、米国の他の地域よりも圧倒的に多く集中しているということである。 研究開発の中心がある米国東海岸への総投資総額を上回っている。 これは、東海岸一帯の人口が3000万人を超えるのに対し、シリコンバレーには250万人程度しかいないことを考えると、ベンチャーの活動が突出していることを物語っている。
具体的には投資を成功させるために、優秀な人財の確保や事業提携先の紹介など、会社経営の重要な部分も援助し新製品が続々と開発されることとなった。
これら、速いスピードで事業展開できた背景には、事業開始時からベンチャーキャピタルからの適切なタイミングでの投資と直接経営に関わり、支援する仕組み大きな効果を挙げてきている。
また、投資されたベンチャー会社も、その後の技術や製品の波及とともに大きく成長を遂げ、きぞのおの大企業レベルまで成長してゆく。 シリコンバレー企業の時価総額は2008年現在では、GoogleがTOPであり、その時価総額は日本のTOYOTAよりも大きい(2007年12月28日現在) ベンチャーから出発して大企業の仲間入りをするところまで、10年以内で達成してしまうわけだから、新しい産業分野を急成長させることに関して、ベンチャーとベンチャーキャピタルの果たしている役割は大きい。
では、なぜそのようなことなるのか。 前述の歴史を振り返ってみると、いくつかの要因が考えられる。
・ 歴史的にチャレンジ精神が旺盛な人々が多く集まっていること
・ アジアからの移民や、メキシコからの移民など多民族の寄り合いで、多様性を受け入れる基盤が出来上がっていること
・ Stanford大学やUCバークレー、UCサンフランシスコなど基礎研究でもレベルの高い学校が集中していること
・ 自由な気風で、アイデアを持ち寄りそれを更に発展させる可能性が高い地域であること
・ 人財が情報やネットワークを持ったまま比較的自由に移動し、産業レベルでの情報交流が密に行われていること
・ 自分の経験したことを生かし、新しく起業をする人や、次世代の人たちを支援する人たちの層が他地域に比べて非常に厚いこと
・ 人同士が気安くネットワークできる機会が多いこと
・ 仕事のプロとして、多くに人が常に学ぶ姿勢を持ち続けていること
・ 仕事についた後も、勉強する人々には積極的な機会を提供する教育システムがあること。 (MBAは通常、3年以上の就職経験者が教育対象である)
これらの集積が、同一の場所で可能になっているのは世界の中でもシリコンバレーだけと言ってよい。
3000 Sand Hill Road
Venture Capital集積地
3000 Sand Hill Roadのキャピタルたち
また、産業化(場合によっては開発研究支援も含めて)ベンチャーキャピタルの役割も考える必要がある。
米国ではベンチャーキャピタルはほとんどが、自分も投資資金の一部を出資している、すなわち独立系であるということである。 これは、自分のお金と人からのお金を預かってまとめて運用してゆくわけであるから、ベンチャーの成功は、自分の出資の成果が成功か失敗かの結果しかない。 成功すれば、自分自身にも、大きなリターンが戻ってくることになるわけだから、本気でベンチャーの成功に向けて取り組む。 また、資金運用も$100-200 Millionのかなり大きな額で、実際にキャピタリストとして、ベンチャーを支援する役割で働く人は10名以下である。 それだけ、一人当たりの責任が重いことと、ベンチャー経営に関する専門性を持った人たちの集まりということになる。
シリコンバレーでのベンチャーの成立について、流れを見ると、研究機関からの技術をしっかりベンチャーに渡してからベンチャーが立ち上がる。
シリコンバレーで現在、独立系の日本人のベンチャーキャピタリストとして活躍している人は、バイオ分野ではスカイラインベンチャーズの金子恭規氏が挙げられる。彼は慶応大学医学部を出た後、Stanford大学のMBAを取得して、GenentechのStart Upから参加してきた経歴の持ち主である。 すなわち彼も、Ex-Genentechである。やはり、人財のネットワークが一番のポイントということで、金子氏のネットワークの周りには、学問分野から産業分野まで多彩な方々との交流があることがわかる。
その他、IT分野では、ATAベンチャーズの藤村道男氏、グローバルカタリストパートナーズの大澤弘治氏、DEFTAパートナーズの原丈人氏が挙げられる。 これらの人たちは、独立系として活動している。
日本で増えてきたベンチャーキャピタル投資であるが、ほとんどが会社組織のベンチャーキャピタルであり、投資家個人の関わりよりは、会社としての関わりが中心なので、シリコンバレーの仕組みとは大きく異なる。 日本企業でも、JAFCOでは企業でありながら、一人一人の権限と責任を明確にした運営を行なっているところもでてきた。 シリコンバレーのスピードに合わせるには、即断即決体制が重要である。 今後、ますますその動きは加速されるだろう。
John Doerrというベンチャーキャピタリストは、現在はGreen Technologyを応援しているが、彼の活躍した歴史は、ほとんどそのままシリコンバレーの新産業の歴史でもある。
Joint Venture Silicon Valley Networkのレポートでは、シリコンバレーの一番重要な要素はアントレプレナーシップ(起業家精神)を持った人々の存在であり、その資源こそが米国内を含めて他の場所とシリコンバレーの一番大きな差であるとしている。 そして人財を介して、技術、情報、仕組み作りが発展し続けてきている。
シリコンバレーでも例外的な人ではあるが、バイオの時代に次々とベンチャーを立ち上げ、大きな事業まで発展させた人の話を入れておこう
Zaffaroniはウルグアイからの移民であるホルモンの分泌の研究でPh.D.を取る。最初の仕事は1950年代にSyntexという会社で薬物代謝の研究であった。 そこで、新しい手法を開発し、Syntexを大きく成長させた
1968年にALZAという会社を設立し、研究者と経営者の二足のわらじで同社を成長させた。ALZA開発した商品の中には、禁煙用のニコチンパッチ(貼り付けて、皮膚からのニコチンの吸収で、禁煙を促す)や、カルシュウムチャンネルの阻害剤を利用した高血圧や狭心症の薬であるProcardia XL®はなどがある。 同社は成長を続け、現在では売り上げは400億円を超え、世界各地の従業員を合わせると1400名になる。 2001年にはJohnson & Johnsonに買収された。
1980年には彼が中心となってStanfordのノーベル賞級の教授とともに、ガンと免疫領域でのバイオ創薬開発のDNAX研究所を設立した。 StanfordのメンバーはArthur Kornberg、Charles YanofskyそしてPaul Bergである。 DNAX研究所はSchering-Ploughとの連携で、現在でも活発に研究を続けている。 日本人では、東大の新井賢一名誉教授もメンバーに加わっていたことがある。
1991年にはDNAチップの世界標準を確立したといわれる、Affymetrix社の設立にも関与し、バイオ業界の立ち上げにも深く関わっている。
1963年にはうつ病や薬物中毒の治療法の研究のためにNPOとして、Zaffaroni 財団を設立した。 この財団は医学的な見地と心理学的な観点を踏まえた情報で、社会的な問題を、事後でなく予防することで解決を図るという信念のもとで、活動している
大企業とベンチャーの相互補完的関係
米国では大企業とベンチャーとが相互補完的な動きをするようになってきている。
特に、バイオメディカルの分野では、研究開発に多大の時間と労力を要し、しかもリスクが高い。 そこで、大企業はベンチャーに投資する資金を準備し、ベンチャーにリスクを取らせ、成果が上がったところで企業内に取り込むことを考える。
また、技術を産業にする、目利きの存在も大きい。 バイオ分野においても最初のバイオベンチャーの設立に関わったのはベンチャーキャピタルであった。大学発の遺伝子組み換え技術が今後のバイオ産業に結びつくことを見抜いた投資家ロバート・スワンソンが研究者ハーバート・ボイヤーに10分間だけ時間を取って欲しいと面会を申し込み、実際は3時間にわたる説得をして遺伝子組み換え技術を使った創薬ベンチャーであるGenentechを設立した。 1976年のことである。
この遺伝子組み換え技術は大学発の技術で大学としては、この権利化で産業界へ技術の供与をするとともに、大学の技術をライセンスして収入を得るという仕組みが作れたことで、大学の研究活動に大きな影響を与えた。 産学連携の出発点はこの基本特許の取り扱い方から始まったといっても、過言ではない。
実際、Stanford大学やUCサンフランシスコ校に巨額のライセンス収入をもたらしたことと、大学発の基礎技術が、新しい産業を興す役割を果たした点で、高い評価を受けたこの2点が大きい。 産学が密着して新しいビジネスを立ち上げるモデルがここにある。
このCorporate Venture Capitalモデルは、1976年Johnson & Johnsonが初めて作り上げた
多くの場合、出来上がった技術に対しては、自社内の開発部門が評価をし、採否を決める。 出資側としてはFirst Refusal Right(最初の選択権)を持つのが普通である。 また、投資資金については目的が、情報を集めること、あるいはベンチャーとの良好な関係構築に重点がおかれている場合が多く、投資に対するリターンを求めることはあまり多くない。
この制度がある会社には、資金を求めるベンチャーや大学から申し込みが来るため、企業側としては多くの技術情報も合わせて得られるメリットがある。
日本の企業でも、米国のバイオベンチャーの立ち上がりを支えてきた大手企業は数多くある。
有名な例としては、キリンビールが立ち上がり時に資金繰りに苦しんでいたAMGENを支援したことが知られている。 AMGENはこの支援のおかげで商品化に成功し、今日の姿となった。 それ以外にもJTがヒト抗体クローニングマウスの技術を持つABGENIXに共同研究および投資をしたことなどがある。(ABGENIXは2004年にAMGENに買収された)
協和発酵も、以前は米国バイオベンチャーに投資してきており、人材も送り込んだ共同研究なども実施していた。
これら日本の会社では出資の目的が曖昧なところがあり、ベンチャーが成功しても金銭的な成果は取れなかったところが多い。 今までの投資経験の不足が原因であるので、経験を積んで、ネットワークを作り、いい条件で契約できるよう進むべきである。 現地のネットワークや情報がますます大切になる。
産学連携のあり方
産学連携は、大学の研究シーズをそのままダイレクトにビジネスに持ってゆくには、難しさがある。とりわけ難しいのが、大学の研究シーズを開発した(優秀な)研究者が、事業という「人間関係力」を最も重要視する流れを作って、事業としてを大きくする必要があることである。
そこで、このような人財的、資金的、知財的に管理が難しいのでOTLなどの、仲介機関を活用して、スムーズな産業化への移転を実施しようというものである。
これにより、大学は研究シーズを提供し、産業界からは事業集団としての専門性で産業化を図ろうというものである。 技術を事業に発展させるには、泥臭い考え方では、資金集めやら人事管理やら、(雑用に近い)やるべきことが山ほどあり、それも短期に処理できないと、事業は行き詰まってします。 事業まで引っ張れる人は、シリコンバレーでも多くなく、この人財養成が一番難しいといわれる。 そのため、半導体であればFairchild社の経験者とか、バイオであればGenentechの経験者が、新しい事業を起こすことを手伝って、次々とベンチャーを立ち上げてゆく。 これは、シリコンバレーだけでなく、新規事業分野で成功した企業の周りには良く見られる姿である。
米国大学OTLによる産学連携の実態 (OTL= Office of Technology Licensing)
大学OTLの目的と組織比較
OTL活動のしっかりした大学、Wisconsin Alumni Research Foundation(WARF) Stanford OTL、UC Berkeley、Harvard OTDを選び、組織の陣容を比較する。
大学 |
特許 |
ライセンス |
契約 |
市場 |
投資 |
広報 |
人事 |
IT |
総計 |
WARF |
22 |
12 |
2 |
2 |
2 |
3 |
3 |
3 |
49 |
Stanford |
- |
8 |
6 |
- |
- |
- |
9 |
3 |
26 |
UC Berkeley |
- |
12 |
4 |
- |
- |
- |
- |
- |
16 |
Harvard |
1 |
(14)* |
3 |
- |
- |
- |
- |
- |
18 |
ライセンスオフィスの役割別人員配置。
*はHarvardのOTD(The Office of Technology Development)定義では事業開発という名称が与えられているが、
仕事の内容としてライセンス先の選定に関わっていると判断ライセンスに算入
米国大学のOTL組織の構成とスタッフ配置
WARFの組織とスタッフ陣容
ライセンシングの経験が豊富で、成果を挙げているのはWARFだといわれている。 組織はかなり大きく、Carl E. Gulbrandsen Managing Directorのもとに49名という陣容を抱えている。
部門としては、Departmentが6つあり、知財関連が14名、ライセンス関係が25名の規模。
Stanford大学の組織とスタッフ陣容
WARFと並んで、組織活動ができているところがStanford大学。 Katharine Ku Directorのもとに総勢27名 業務は、ライセンシングと契約のサポートが中心。
Associateクラスの人員が多いということは、学内調整を中心として行い、実際の契約業務などは、弁護士事務所を使っているケースが多い。
産業界への契約事項などは、Industrial Contracts Officeが担当するが、実務面ではやはり弁護士や外部コンサルタントを使う。
カリフォルニア大学は各大学ごとにライセンシングの仕組みを持つ。
代表例としてUC BerkeleyではIPIRA(Office of Intellectual property and Industrial Alliances)を取り上げる。総勢16名。 ライセンスに関する業務が中心で特許関係者はゼロ。
ここにおいても、担当者の育成という視点ではプログラムが見えていない。 すなわち実務担当者を直接採用するという仕組みになっているため。
Harvard大学でもLicensing Departmentを持つ。
ここのスタッフは総勢20名である。 ここでの仕事は他の大学のOTLの呼称と違って、事業開発という、ライセンス先を探してくる仕事を主眼としています。
ライセンス先は、ライフサイエンス関連と、工学・物理学分野の2つになっている。 ここでの役割は、経験と人脈を生かして、Harvard大学での研究の中から、顧客を見つけてくること。 スタッフは、その分野でのライセンシングや特許に関する知識や経験が豊富な人が選ばれる。
ここから分かることは、WARFだけが知財に関連する役割を自前のスタッフでカバーしていること。当然不足している機能は、外部への委託を中心にアウトソースされている。
他の大学もはライセンスには力を入れて専任スタッフを置いているが、特許については学内でルール化して、あまり人手をかけていない。
米国大学のOTLの目的
A. 大学への研究資金の供給という面
この点については、大学が産業界に出して生み出す金額は、大ヒットライセンシング(遺伝子組み換え技術、Googleへのライセンシングなど)を除くと、平均して一件当たり数万-数十万ドル程度であることが知られている。 このことは、産学連携は大学の経費を負担するほど、大きくないということになる。 (StanfordでもOTLからの研究費に対する貢献は大学経費の数パーセント程度)
OTLの実態を詳しく見ると、大学卒業生が資金を出し合って、大学の研究を支える仕組みが多くの大学で採用されている。
A-1 その主体が大学自身であるのは、Harvard大、 MIT、 Stanford大などの有名私立大学が、大学の卒業生からの寄付金をからの支出でまかなう形をとっている。 これらの活動は、大学の最重点項目に置かれている場合もある(Harvard大) これは、卒業生名簿に寄付金額を掲載することが、ステータスであるように位置づけている日常活動に支えられている。 また、卒業生で、成功したビジネスマン達から積極的に寄付を募っていまる。(Stanford大、Washington州立大学)
A-2 卒業生の寄付や、知財のライセンス収入を大学とは別の基金として、大学の研究資金の提供や、ライセンシングを行うスタッフを置いているケース。
これで有名なのがWARF(Wisconsin Alumni Research Fund=ウイスコンシン大学卒業生研究基金)。 この団体は、1920年代の畜産技術のライセンシング基金を元に立ち上げられた。 現在運用資金は、円価で1兆円近くあり、大学の研究に関する資金援助や、ライセンシング先の選定など、本格的に産学連携を推進している母体でもある。 ライセンシングには25名のスタッフを配置して、優れた特許の提出、最適な提携先の探索を行っている。 (スタッフの半分以上は全米から選んだ知財担当者で、製薬企業や、特許事務所出身者が多く、専門性の知識がしっかりしていて、平均給与は25万ドルとのこと)
バージニア大学では特許基金を作り、アイデアからライセンシングもプロセスまでマニュアル化できています。 http://www.uvapf.org/
ライセンシングのポリシーは明快で、大学の研究者への知財管理のしかたや、ライセンシング手続きのやりかややプロセスなどが明確になっている。 これを見る限りPR活動もしっかり行なわれている様子がわかるし、日本の大学の担当者のチェックリストにも使える。
Virginia大学のOTLの知財管理手順書のFlow
主要メンバーはバージニア大学の先生を中心としたメンバー。もともとは、知財に関する弁護士費用の削減をひとつの目的に立ち上がった組織であり、学内の知財の教育に関する徹底、発明を毎年表彰することで研究の活性化は駆ることを主眼としている。 このマニュアル化は、日本の大学の知財担当者にとって学内の再教育や、知財プロセスの合理化に参考になる。
B. 大学の組織に対する役割
プロジェクトを掲げて大学の研究開発の活性化、産学連携への誘導も行われる。 これは、リスクを行政がかぶる形もあるし、大学自身がかぶる場合もあります。 目的は、次世代の研究テーマを作り出すこと。
B-1 州がプロジェクトを作り産学連携の推進
CA州は高等教育は州の政策の中で1,2を争う重要項目。 現在のシュワルツネッガー知事の前任のDavis知事の時代にCISI(California Institute for Science and Innovations)による、プロジェクトを立ち上げた。 当時の知事の呼びかけは次のようであった。 「50年前に、シリコンバレーは無かった。 30年前にバイオテクノロジーは無かった。 10年前、インターネットは無かった。 これからのイノベーションは何であるか、誰もわからない。 しかし引き続きカリフォルニア州が新しいEconomyを創出し、世界のリーダーであり続けるために、このプロジェクトを推進する。」
これは、UCの大学側からテーマを掲げて、産業界からの研究資金を導入し、州はそれにマッチングさせることで大学の研究開発を産業界へ移転できるよう考慮したもの。
重点分野として挙げられたものは、大きく4分野。
QB3のMission BayプロジェクトはUCSFの移転を含めた新研究クラスターの創生であるが、着実に成果を上げている。
B-2 大学がプロジェクトを作り資金を集める
Stanford大は、産学連携のプロジェクトを立ち上げる。 最近ではMedia-Xという、ITの将来予想される問題を事前に見出し、Stanfordの持つ総合大学としての力を纏め上げて研究を進めるプロジェクトです。 これには、共同研究のプログラム(企業が研究者を大学に送り込んで一緒に研究する)もあれば、単に研究成果を情報としてもらうという軽いレベルの参加も出来る。 前者では参加企業は5年間 毎年100万ドル、後者は数十万ドル。
その他、Stanford Initiative on the Environment and sustainability http://environment.stanford.edu/ やBIO-Xで知られる、The Initiative on Human Healthも産学連携を視野に入れた活動。
いずれの研究も、テーマ設定まで含めて大学が主導的な立場を堅持し、外に向けて働きかけています。 これは、基礎研究こそが大学の「研究」と「教育」を支える要素であるという考え方に基づいています。
これらの資金調達には卒業生の力が大きい。 そのために、一生使える卒業生に大学のメールアドレスを付与したり、非常にこまめに配慮しているし、卒業生管理のためのスタッフもしっかり置かれています。 また、集めた基金の運用で、運営がまかなわれている部分が多いので、優秀なファンドマネジャーが資産管理にタッチしています。
1兆円近い資金の運用利回りが、例えば20%あったとすると、年間2000億円もの資金が出てくることになる。 資金が大学の運営に果たしている役割は大きい。
B-3企業が大学の研究をFacilitateしている例
INTELは企業として大学の研究を支援しているユニークな仕組みを持っています。 大学との研究支援組織Intel Research Laboratoryという企業研究を離れた大学との共同研究です。 拠点としてはUC Berkeleyのほかに、PittsburghとSeattleに設置している。 研究リーダーは大学の教官が中心で、大学とIntelの研究者の共同研究、しかも特許や成果を求めない「人材養成型」の仕組みです。 現実には大学でもトップレベルの人間が研究のリーダーシップをとってIntelとの共同研究の形で、成果を生み出しています。 どちらも研究者を出し、共同で結球する仕組みで。従来の大学や企業の枠を超えて、研究する新しい仕組みとして、注目されている。
C. 大学の存在する地域の活性化
A、Bに述べられた大学の多くはすでに地域との産学連携はもちろん、国際的な産学連携も行える力があります。 しかし、もともと産業もなく、これから大学発の研究を産業に結び付けようという場所も、米国にはまだ存在している。 そのような大学は地元への貢献を考慮した活動をしている。
C-1地域活性化を目的とした産学連携
地域大学として、まだ産学連携まで進めていないけれど、まずは大学の基盤(教育、地域への医療貢献、研究)を確立する上でのプログラムを組みつつある。
そんななかでオレゴン保健科学大学は地域への貢献からスタートしている大学。大学が地域貢献に果たす役割を知る上で、手本にはなる例。 http://www.ohsu.edu/
また、North Carolina州ではResearch Triangleでの研究活性化のために、州が米国内の企業だけでなく、日本や欧州との産学連携に積極的。 大学としてはDuke大、ノースカロライナ州立大Chapel Hill校などがありベンチャーの立ち上がりなど、ゆっくりではあるがシリコンバレータイプを目指している。 http://www.unc.edu/
この大学では、2015年には産学連携の達成額を1000億円にしている。 ここには、大学、企業の研究所などが集積しており、それらの連携を強めて、産業創生力を持たせるのが目的。
IOWA州も地域振興と産学連携を組み合わせた活動を長く続けている。
IOWA州は、米国で開催される世界最大のバイオイベントであるBIOで毎年、大きな展示ブースを出し、イベントも実行。 この州の産業基盤は、農業や牧畜関係なので、その分野の技術をもとにした産業の振興をはかる。 州が絡むことで、優遇税制の採用など進出企業への柔軟な対応なども行われている。
地域活性化とつながった産学連携の取り進めは20世紀初頭から始まっています。、その時の産学連携の分野は農業・畜産関連に多く、その流れが現在のバイオテクノロジーに関する、大学技術の産業への応用という形で引き継がれている。 具体的には、畜産やAgro Productsの開発に大学が大きな役割を果たし、地域経済の活性化にも貢献している。 その代表的な例がIOWA州における産学連携から地域経済への貢献。 この州はAgriBioと呼ばれる、農業バイオが産業として盛んで、それらの技術は大学と企業の協力から生まれている。 Monsantoをはじめとする企業も、進出しています。
このような実績があると、大学の研究資金も、外部から導入できるし州政府としても、研究を中核とした企業誘致や、税制優遇なども図れる。
結果的に産・官・学のいずれもが利益を得られる仕組みになる。
UCSF Mission Bay Campus
[UCSF提供資料による]
UCSF Mission Bayにある、Genentech Hall
Genetechとの特許で勝訴し、その賠償金の一部を使って作った研究棟
Stanford大学 BIO-X
これからの産学連携
米国のAUTM活動は、毎年一回全米の大学の産学連携マネジャーが一堂に会して、相互のKnow-Howや情報交換する会である。
今年は、2/28-3/1までSan Diegoで開かれる。 このサイトにも、2006年の全米の大学の産学連携のデータがまとめられている。
対応する日本のデータは、文部科学省が出している。
今後、産学連携のポイントは、それぞれの大学がどれだけの成功例を作るかにかかっているが、大学間相互の「学びあい」「競争し協調する」姿勢が重要になる。 AUTMでの議論は成功例、失敗例、これからの提案や、書式の統一化、共通事項のSpecial Interest Groupでの議論など、単独の大学では出来ないことにチャレンジしている。 これは、日本の大学も学ぶべきことだし、やればできることである。
JUNBAはそのための一つの機関としての役割が担える
では、これから、どのように「競争し協調する」( Competition & Collaboration)世界が形作られているのか、シリコンバレーでの動きを見てみたい。
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