- 2008-01-06 (日)
日本の経済が、末端まで冨が回らないのは理由がある
それは、ビジネス(企業、NPO団体など)がお金を儲けていないからである。
以前紹介した、Mobilizing Mindsのデータをよく見ると、米国の時価総額の大きな大企業TOP150社を取り出し、資産価値を比較する。 その中で知的資産(市場価値換算で)の伸びが1995年から2005年までで約10倍、有形資産の伸びが、約3倍ということで、知的貢献部分の貢献が圧倒的に大きいことがわかった。 この理由は、知的な仕事が、儲かるということでもある。 その時に、ITの利用があって、中間層が情報交換の「場」としての役割を担った。 そこで中間層のフラット化が起こった。 その結果、情報やネットワークが社内の末端までをカバーするようになり、結果的に組織活動を活性化させ、利益を増大させる流れができた。
日本の場合は、組織の縦階層を壊すことなく、スリム化(人員削減)を図った。そのため、フラット化よりもタテ割り維持へと中間層が動き、既存の仕事を守り、をれをより少ない人数でこなす形へと入っていった。 これにより、社内での動きは、縦系列が中心で、情報や人の動きはその枠の中を中心に行うようになった。 この形は、暗黙知の共有化や、集合知のもつよりレベルの高い知へのアプローチを困難にしてしまった。 労働生産性は向上しても、付加価値の高い仕事の創造は不可能であった。
日本の一流企業といわれるところでも、まだその仕組みから抜け出せていない。 これは、1995年以降の会社のトップ層の入れ替わり方を見ていればわかる。 相変わらず過去に「無難」に実績をこなした人がTOPになるケースが多い。 日本の組織での階層の活性化は、中間層でもなく、末端レベルで起こった。 これは社内の枠よりも個人のレベルである。 当然、個人の活動は、ビジネスから流れてくる給料などの収入をもとにしているから、消費される金額はビジネスでの金額よりは、はるかに小さい。
(企業のTAXIチケットが削減されると、夜間のTAXI利用者は激減してしまうのである)
ここに載せた図は、ITといわれはじめた1990年代から現在までの約15年間について米国のIT化と日本のIT化の果たした役割を比較している。
ITの利用で 米国は、「中間層」=知的作業中心=価値を生む仕事を考えるという流れになった。
ITに利用とは関係なく 日本は、「社員層」=業務遂行中心=ライン業務に限定(結果的に労働生産性の向上を目指した)
インドや中国が大学教育を更に改革し、知的人口を増大させることを考えている。 このことは、知的な切磋琢磨は新しい価値を生み出し、新しい市場を作る可能性がある(過去は間違いなくそうだった) しかし、限定された業務は、価値は減るばかりで、市場は限られている。 そうなると価格競争でのパイの奪い合いということになる。 この後者を逃れるために、新興国は、どこもが教育をいかに改革するかに注力しているのである。 日本の経済の行き詰まりを開放するのは、中間層の活性化が鍵を握っている。 自己保身よりは、後継者の養成や、次代のあるべき姿へ組織を変えるなどするべきことがある。 それを実行したところだけが、富を生み、末端まで行き渡らせることができる。 ITは十分揃った、あとはどうやってそれを使いこなすかということになる。
ここポイントがクリアできるかどうかで、すでに来ている、Croud Sourceも含めた社会に、日本の組織が対応できるかどうか、確信のポイントで、これを構築する方法は、ITの活用である。
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